2011年9月のことば


◇信じる

 どんな小さなことでも
 信じて積み重ねれば
 大きな山となり
 山は 新たな希望を授ける

ビーゲンセンのワンポイント


◇偽り
  偽りの人生ほど
 寂しいものはありません

飾れば飾るほど 飾りに押しつぶされ
飾りの色褪せが 目立ちます

だから さらにケバケバしく 塗りたてるのです

あるできごと


◇動物園へいく
 8月は孫と一緒に動物園をはしごした。一つは都心の動物園、もう一つは北海道の名高い動物園である。ちょうどペンギンの泳ぐシーンがある絵本を書いていて、その泳ぐ姿を間近で見ることができた。
 両者に共通しているのは、動物の生態をそのまま見せる工夫である。自然環境に近い方が動物のストレスが溜まらないというし、来場者も生の生態が見られて楽しい。北極の白熊が餌の魚を水中で取。人間が危害を加えない限り人を襲うことはないとさえ思えた。親子ペンギンがスイスイ泳ぐ姿は、泳ぎ方の手本である。猿やモンキーが枝伝いにウンテイのように移動するが、すこぶる身が軽い。北の動物園には、生まれてまだ日が浅いの2匹の小熊がいた。いまは生きるための学習中だそうだ。丁度「こぐまのはじめてのあさ(仮)」の絵本を制作中であり、小熊が初めて見た世界を喜び勇んで学習する様が出てくるが、小熊の動きは、まさにその通りだった。
 動物園を比較するつもりはない。が、二つの動物園の違いが際立っている。都心の動物園はその規模において、広大な土地に広がる北の動物園には及ばない。しかし来場者は押すな押すなの人出にあふれ、終日大混乱した。北の動物園は広い土地に動物が散らばっていて、見学者がちょうどよく散乱し、ゆったりと見学できた。
 なぜ人々が動物園に惹かれるかといえば、それは動物の生態が生で見られるからだ。大人だろうとオジさんだろうと、動物の生きる姿を見るのは飽きない。囚われの身の動物たちに同情しつつ、なお生態に強烈な刺激を受けるのである。
 何度見ても飽きない動物園めぐりで合った。

2011年8月のことば

◇一歩一歩

人生は 
一歩一歩の集積
歩む一歩一歩が 
人生となる

100キロ先の地点も
100歩先の建物も
歩めば 
一足ずつ近づく
駅の階段も
歩道橋の階段も
登れば 
一足ずつ上がる

大震災のあの日
ひたすら歩いて
3時間後に家に着いた

人生の歩みも 
家にたどり着く歩みも
何事も 
最初の一歩から

ビーゲンセンのワンポイント

◇育てる

 屋上プランターの野菜
 春に20種類余を植えた
  肥料を施し
  水をやり
  雑草を取り
  不要な芽を摘み
  話しかける

 野菜には
  毎日の水やりが欠かせない
 葉が黄色くなれば病気かと疑い
  せっせと治療薬を散布する
 茎が伸びなければ栄養不足かと心配し
  せっせと肥料を施す

 野菜の生命を守るということは
 生き物の生命を守るということ
 その心は同じ
 育てる責任と覚悟がいる

あるできごと ミニコンサート

◇ミニコンサート

 絵本塾ホールでミニコンサートがあった。僕は元々歌番組やバラエティ番組はあまり見ない。だから歌手を知らない。特に五十歳過ぎからはとんと縁がない。今回のミニコンサートは、始めて知った歌手だったが、観衆が両極端だったので興味深かった。
 3月は若手歌手ジリ・ブァンソンさん、6月が女性歌手小川範子さんだった。二人とも歌手であり役者でもある。テレビ番組に出演しているという話しだ。ジリ・ブァンソンさんはアメリカ人だが、すっかり日本に溶け込んでいるようにみえた。一日二回、二日に亘る東日本大震災支援のイベントである。100人弱の観衆の80%は若い女性だ。小川範子さんは元アイドル歌手だそうで、前の席に5~60代とも見える男性のファンが陣取り声援を送っていた。ファンクラブ会員限定のミニコンサートとあったが、観衆の60%は男性客である。歌に合いの手を入れるなどして、会場を盛り挙げていた。
 二人がファンを大切にしていることもさることながら、ファンを惹きつける魅力を持ち、それを維持していることにビックリし、敬意を表したのだ。何年も輝き続けるにはそれなりの努力があるはずで、それは一体何なのか? その極意が気になるコンサートだった。

2011年7月のことば

 
◇笑って


 笑って 笑って
 
    愉快に笑い

  毎日を楽しく過ごす

 そうするには

 自分を偽らないことです

ビーゲンセンのワンポイント

◇嘘

 誰が言ったのか
 嘘は方便と

 でも 嘘は嘘
 嘘に方便はない

 百万回嘘をつく
 その人は

 百万回 
 人を悲しませ
 悲しみにくれる他人に気づかない

 悲劇の始まり

あるできごと 愉快な結婚式

◇愉快な結婚式
 年を取ってくると結婚式に呼ばれなくなる。そればかりか結婚式を行わない夫婦が増えて益々呼ばれることが減ってきた。つい先だって三十代の若き経営者と面談した折り、子どもを幼稚園に送り駆けつけて来た。「大変ですね」というと、「三十代は半分しか結婚していませんよ。子育ては大変ですから」と言っていた。
 久々に結婚式に呼ばれた。甥の結婚式である。結婚式は披露宴も含めて平均的な内容であった。この式で愉快で感動したのは子どもの多さである。約60人の参加の内子どもが15人いた。やっぱり子どもが多い方が華やぎ落ち着く。華やぐといっても色気という意味ではない。活気が溢れているいう意味である。
 僕は甥の主賓だったので主賓の挨拶をしたが、自分の書いた絵本のお客が15名もいて嬉しいと話した。花嫁の兄弟が5人おり4名は既に結婚、4人で13人の子どもがいるのである。5名、3名、3名、2名の子沢山である(新郎側の子どもは2人だったが)。何とも楽しく愉快な光景だった。
 つい50年ほど前まではこの光景は普通だった。結婚したがらない世代が増えたことも事実だし、結婚しなくても生きていける世の中になったのも事実だ。でも親に次世代の子どもがいないのは、淋しい風景に写る映る。
 もう遅しだが、2人ではなく3人か4人の子どもを持つべきだったなと、ちょっと残念に思いながら我が身を振り返った一時だった。

2011年6月のことば

◇王道

 
 働き者は
 いつの間にか
 己の道を
 人生軌道に乗せています

 働き者は
 いつの間にか
 生き方を
 背中で手本を示しています

 それは
 人類の道理だからです

ビーゲンセンのワンポイント

◇感謝

 世の中で一番好きな言葉
 それは ”ありがとう”
 
 ありがとうは 
 相手への思いやり
 相手への尽くし
 相手へのいたわり から 出る言葉

 ”やってあげる” それは 
 相手への思い上がり
 相手への寄りかかり
 相手への邪心 から 出る言葉  

 ありがとうの言葉が
 二人を
 家庭を
 世の中を
 世界を 
 円満にする

 ”ありがとう”は
 幸福を生み出す魔法の言葉

あるできごと 育てる

◇育てる

 昨年屋上にプランターを設置し家庭菜園を始めた。その時は時間に追われ、水やり以外は何もできなかった。成長をじっくりと観察した記憶がない。それでも野菜は律義に花を咲かせ実を付け、収穫が大忙しだった。
 今年は菜園日記を書きながら育てようと、ノートなどを準備した。だが、野菜は昨年ほどには成長せず、シシトウなどは何本も枯れてしまった。園芸店へ行って理由を聞くと「水が多すぎて成長しないんじゃないですか?」そう言われてみると思い当たる節がある。今年はシュプリンクラーの回数と水の量を多めにしたのだった。しかも、連日の低気温、温度が低くなり過ぎて発育しないのだという。そこでシュプリンクラーの回数を1日2回を1回に、20分を15分に再設定し直した。
 ゴーヤの支柱を立て横木を組み、トマト、ナス、キュウリ、ピーマンなどの支柱も立て、野菜の幹を支柱に結んだ。3週間経ったので1回目の化学肥料を施した。これで準備万端、整った。これらのことはすべて菜園日記に記録した。あとは水の調整と、肥料の施しだけである。今年こそ、自称「四谷野菜」か「迎賓館野菜」を完成させたい。心配し過ぎて、過保護にかまうのがうまくいかない理由だが、やや心もとない。
 もっと放任主義の方がいいのかな?人を育てるのも大変だが、植物も育てるのは難しい。何事も腕を上げるには時間がかかるということ。 物を作る、野菜を育てる面白さは何事にも優る。さあ、水をまいてくるかな!

2011年5月のことば

◇感性

 美しいって?
 汚れるって?
 
 嬉しいって?
 苦しいって?
 
 笑うって?
 涙に濡れるって?
 
 それは ね!
 生きているって こと!
 
 明日が あるってこと なんだよ!

ビーゲンセンのワンポイント

◇生きる

 からだに 力が満ち

 くすぶる魂が
 心の底から
 湧きあがる

 からだに 意欲が満ち

 挑戦魂が
 指の一本一本に
 滲んでくる

 生きる
 生きるんだ
 強く 生きるんだ 
 
 己の叫びは
 誰にも 
 聞こえない

 庭の隅で
 ひっそりと
 花を
 咲いてみせようぞ!

あるできごと また挑戦する

◇また挑戦する  
 日本中が東日本大震災に打ちのめされ、ひっそりと生きているような気がする。もしかしたら僕だけかもしれないが、周りの景色や世の中の移り変わりに無頓着なまま、ただ日々を過ごした気がする。いつの間にか桜が咲き、いつの間にか散り、いつの間にか暑い日々が近づいている。
 太陽が東から昇り西に沈み、一日二十四時間が正確に刻まれ、季節の移り変わりは繰り返される。それは人間の思いや感情に捉われることなく、最古の昔から繰り返される自然界の摂理だ。そこに人間が生活して歴史をつくり、行事が行われて暦となる。
 地震多発地帯の上で生活している日本は、地震を避けようがない。いつか必ず地震が起きる。過去、地震に打ちのめされても、日本人は、日本という国は不死鳥のごとく立ち上がってきた。東日本大震災で被害を受けた人々の苦難ははかり知れないが、間接的な被害を受けた日本人の誰しもが苦しんでいる。”この災難から立ち上がれるのだろうか””いつか忘却の彼方に追いやり、笑える日々がくるのだろうか”と途方に暮れる。
 生まれてこの方、ケネディ大統領の暗殺、三島由紀夫の割腹自殺、私事の大変遷など、僕にとっての大事件は幾つもあった。しかし、今回の大災害は過去の事件と比較にならないのだ。東日本大震災ほど人間の無力感を感じたことはない。人類の営みを否定する自然の大災害だ。降参、まいりました、だ。
 30日、40日、50日と月日が経つと、不思議なことに自然に負けてなるものかと闘争心が湧いてくる。連帯による人間性の回復、音楽や文学による感情のリフレッシュ、生きたいという生命力が、自然に立ち向かわせるのだ。あたかも何もなかったかのような暖かな日差しを浴びて、手足に力がみなぎり、頬を撫でる微風に感情が休まる。昔から自然と仲よしだった気さえしてくる。
 どうだ自然、どうだ大地震、また立ち上がるぞ、僕は。参りました、というまで。

2011年4月のことば

◇スリムとは

  人生のスリムとは
  清貧

  生き様のスリムとは
  清潔

行動のスリムとは
簡潔

ビーゲンセンのワンポイント

◇消失感
自然の巨大なエネルギーの前に
人間が積み上げてきた創造物が
ひとたまりもなく 
けちらかされた

なんという無慈悲
なんという残酷
なんという恐ろしさ

いま 自然は取り澄まし
ときは 日々整然と過ぎていく
まるで 何もなかったように

感ずるは ただ無力
感ずるは ただ消失
感ずるは ただ ただ 茫然自失

これほどまでに 人間の力は 小さいのか?

あるできごと 東日本大震災

◇東日本大震災

 今回の大震災では人間の無力を思い知らされた。
 あの日、四谷の会社に家族といた。大変な災害との報道に早めに帰宅することにした。四時半に会社を出て駅に向かったが、全ての電車が止まっており駅は大混雑していた。新宿通りと外堀通りは人で埋め尽くされ、こんなに多くの人達がこの近辺に働いていたんだと、驚きながら眺めた。切れ目のない大群が、モクモクと歩いているのを見て、歩いて帰るしかないと覚悟を決め、人の群れに混じって歩き出した。ひたすら自宅を目指して歩を進めた。休むことなく歩き続け、3時間かけて自宅にたどり着いた。
 そして、テレビに映る悲惨な光景を見て打ちのめされた。堤防が破壊され、家が押しつぶされ、流され、船が、自動車があちこちに散乱していた。自然のエネルギーは、無慈悲・無残・冷酷に、街を総なめしていた。跡形もなく失った街の映像を見ながら、出版業の虚しさを痛切に感じた。出版が何かの役に立つのか、自然の脅威の前には無意味な仕事ではないのか、自問自答しながら涙した。全身が虚脱感に襲われ、生きる力が萎えたのだった。
 何日か経って、本を読んで癒される子どもの新聞報道に接し、救われた。本1冊は小さな物だが、だけれども人の役に立つ、読んだ子供たちが癒される。被災地に本を贈ろう、少しでも義援金を贈ろうと、決めた。帰る家があるだけでも幸せだと思い、知り合いに災いがなかったことに感謝し、もっとできることがないかを考えながら、行動している。二つの団体に本を贈り、日本赤十字に義援金を送金した。
 被災者が希望を持って立ち上がっている。僕も立ち上がらなくてはならない。虚脱感を克服し、生きる力を再生しなければならない。メソメソなんかしておれないのだ。何かを感じてもらえる本を出版する、子ども達に夢を与える本を作る
 立ち上がった被災者の姿に刺激され、ようやく動き出すことができたのである。

2011年3月のことば

◇素直

   素直って好きだな
   混じり気のない 透明な心は 何人も跳ね返してくれるもの


   素直って好きだな
   混じり気のない 純な心は 精神に安らぎを与えるてくれるもの


   素直って好きだな
   混じり気のない 光り輝く心は 世の中を照らしてくれるもの

ビーゲンセンのワンポイント

◇目を開く

         目を開いていても 見えないものがある
         目を閉じていても 見えるものがる

         目を開こう 
         心眼を開こう

         目(心眼)を開けば 信号が飛び込み刺激する
         やがて 薄い膜がはがれるように
         鮮やか景色が 浮かび上がる

         そういう生き方の達人になりたい

あるできごと 表彰式で感じたこと

◇表彰式で感じたこと   
 あるNPOが主催する「図書館を使った調べる学習賞コンクール」の表彰式があった。僕は地方コンクールと全国コンクールの審査委員を担当し、その選考にあたっている。今年は14回目の表彰式だったが、応募総数は25000点余に達したという。1回目が950点だったことを考えれば、その取り組みの広がり方がすばらしい。
 地方コンクールの区長賞を得た小学校中学年の作品が、全国コンクールで最高の文部科学省奨励賞を受賞した。この受賞者は2年生でも奨励賞を受け、昨年は2番目の教育振興財団賞を受賞、3年連続の受賞をはたした。昨年は、中国地方にも研究熱心な児童がいて、2年連続で奨励賞を受賞している。
 昨年の選考会で討議が白熱したのは、連続して奨励賞を与えると受賞者の幅を狭めるという意見だった。僕は、高校野球の甲子園は連続出場できるのだし、良い作品は良い作品として受賞させるべきだ、と主張した。結果は連続受賞可となって、昨年と今年の連続受賞となったのである。
 「アサリがあっさりと死んだわけ」という研究は、他を圧倒する研究成果を示した。アサリを水槽で飼育したのだが、何日かして死んでしまう。そこから科学の目で飼育を研究していく。塩分の濃度が違うのかもしれない、砂浜の状態が悪いのかもしれないなど、仮説を立てて、次々に仮説を解決していくのである。
 このように生態観察から疑問を持ち、仮説を立てて挑戦し解決していく。この仮説を立てて実験し、疑問を解決していく課程が大事なのだ。これこそ科学者の目である。それを小学校中学年で持っていることに敬意を払うのである。
 ある版元の編集者が、このままでも本にできると言い、当人と挨拶を交わした。本に結実することを願う。参加者がこのような調べる姿勢を身に付けることが、このコンクールの目的なのだ。心躍る嬉しい表彰式の一日であった。

2011年2月のことば

◇軽やか


  軽やかに 心持ち軽く
  軽やかに 見る夢若く
  軽やかに 足取り弾む

  それは 若さなの?

  それは 知的好奇心の尺度なの?

  それは 実年齢の姿なの?

ビーゲンセンのワンポイント

◇こんな人になりたい

 
 人をほめ 
 人の過ちをゆるし 
 人をいたわれる人になりたい

 どうしたら 自分を犠牲にできるのだろう

 どうしたら 自我を捨てられるのだろう

 どうしたら 欲望から解放されるのだろう

 葛藤しながら 生き果てるのだろうか?

あるできごと 交流三年目

◇交流三年目    
 ある小学校との交流も三年になった。昨年11月にあった学習発表会に三年連続で呼んでもらった。昔風に言えば「学芸会」であるが、今風に「竹の子フェステバル」という名が付けられている。招待されていくのだが、半分以上は当方の押しかけでもある。押しかけたいほどの魅力を持った、言いかえれば引力のある発表会である。
 東京の片隅で小さな事業をやっていると、ジレンマや焦りが生じ、それが澱のように心に溜まる。そのドロドロした澱を洗い流してくれるのが、ここの子どもたちの振る舞いなのである。これは挨拶でも話したことでもあり、子どもたちに失礼にならないと思うが、年に一回の洗濯の日になっている。
 低中高学年に分かれて順に演技が進むが、全体で一つのような感じすらする発表会である。一つの演技が終わると子どもたちはテキパキと道具をかたつけ、次の演技の子どもたちが準備をする。その間2~3分でしかない。自然に次の演技が始まるのである。何よりも飾らないのがいい。衣装もほとんど用意しない。普段着で物語を演じるのである。そこには邪心も功名心もなければ、テレビを意識した演技もしない。それがいいんだ。本当にいいんだ。見ていてジンとくるものがある。
 いつの間にか子どもたちの演技に引き込まれ、いつの間にか涙を流している自分を発見する。流す涙が東京の澱を綺麗に流してくれるかのように、だ。だから、また次の発表会が待ち遠しくなるのである。
 至福の独占という果報者である。

2011年1月のことば


スリムに生きる

  人生のスリムとは 無欲

  生きざまのスリムとは 簡潔
 
  行動のスリムとは 敏速

ビーゲンセンのワンポイント

仮面
  
  虚勢の人生ほど
  むなしいものはありません


  一人でポツネンと振り返ったとき
  ああっ 正直に生きなかったなと
  自責の念にかられます


  もし かられないのなら 
  まったく後悔しないのなら 


  まちがいなく
  あなたの一生は 仮面人生です

あるできごと

◇スタジオ収録

 「グレイがプロモーションビデオの制作に絵本塾ホールに来るんですよ」と連絡をもらったが、それが誰だか僕には分からなかった。自宅で相方に話すと「見たい、会いたい」という。早速娘に連絡、娘も見に行きたいという。一体「グレイ」って、何者?娯楽番組や歌番組はトンと縁のない当人にすれば、猫に小判状態。娯楽音痴にグレイなのだ。
 ホールを利用した光り映像画家の和代仁平氏が、グレイのプロモーションビデオをプロデュースし、同時に和代氏が出演する「花まるマーケット」のテレビ番組を収録したようだ。これらの様子は、12月8日のテレビ番組を見て分かった。
 有能な人たちを紹介するそのコーナーに和代氏が登場、冒頭に絵本塾の入り口と看板が放映され、番組の途中「新宿 絵本塾ホール」と字幕があった。全国ネットのテレビにホール名が出ただけで由とし、和代氏に感謝だ。残念ながら「テレビに写っていましたね」という人には合わなかった。コーナーの放映時間が八時四十分だったから、同業者や勤め人が見られる時間帯ではなかったからだ。
 人間って不思議な生き物。それ以来全く知らなかったグレイが身近かになった。今度はCDを買うわなきゃね、娯楽や歌番組をたまには見なきゃねと、自戒した師走だった。