2011年5月のことば

◇感性

 美しいって?
 汚れるって?
 
 嬉しいって?
 苦しいって?
 
 笑うって?
 涙に濡れるって?
 
 それは ね!
 生きているって こと!
 
 明日が あるってこと なんだよ!

ビーゲンセンのワンポイント

◇生きる

 からだに 力が満ち

 くすぶる魂が
 心の底から
 湧きあがる

 からだに 意欲が満ち

 挑戦魂が
 指の一本一本に
 滲んでくる

 生きる
 生きるんだ
 強く 生きるんだ 
 
 己の叫びは
 誰にも 
 聞こえない

 庭の隅で
 ひっそりと
 花を
 咲いてみせようぞ!

あるできごと また挑戦する

◇また挑戦する  
 日本中が東日本大震災に打ちのめされ、ひっそりと生きているような気がする。もしかしたら僕だけかもしれないが、周りの景色や世の中の移り変わりに無頓着なまま、ただ日々を過ごした気がする。いつの間にか桜が咲き、いつの間にか散り、いつの間にか暑い日々が近づいている。
 太陽が東から昇り西に沈み、一日二十四時間が正確に刻まれ、季節の移り変わりは繰り返される。それは人間の思いや感情に捉われることなく、最古の昔から繰り返される自然界の摂理だ。そこに人間が生活して歴史をつくり、行事が行われて暦となる。
 地震多発地帯の上で生活している日本は、地震を避けようがない。いつか必ず地震が起きる。過去、地震に打ちのめされても、日本人は、日本という国は不死鳥のごとく立ち上がってきた。東日本大震災で被害を受けた人々の苦難ははかり知れないが、間接的な被害を受けた日本人の誰しもが苦しんでいる。”この災難から立ち上がれるのだろうか””いつか忘却の彼方に追いやり、笑える日々がくるのだろうか”と途方に暮れる。
 生まれてこの方、ケネディ大統領の暗殺、三島由紀夫の割腹自殺、私事の大変遷など、僕にとっての大事件は幾つもあった。しかし、今回の大災害は過去の事件と比較にならないのだ。東日本大震災ほど人間の無力感を感じたことはない。人類の営みを否定する自然の大災害だ。降参、まいりました、だ。
 30日、40日、50日と月日が経つと、不思議なことに自然に負けてなるものかと闘争心が湧いてくる。連帯による人間性の回復、音楽や文学による感情のリフレッシュ、生きたいという生命力が、自然に立ち向かわせるのだ。あたかも何もなかったかのような暖かな日差しを浴びて、手足に力がみなぎり、頬を撫でる微風に感情が休まる。昔から自然と仲よしだった気さえしてくる。
 どうだ自然、どうだ大地震、また立ち上がるぞ、僕は。参りました、というまで。