2010年6月のことば

引退
「生き方に引退はありません」
海外で医療奉仕に励む83歳女医の言葉
自分で生き方に限界をつけがちだが
何という女医の精神力、ただただ頭が下がる

ビーゲン センのワンポイント

才能
子どもはみな才能を持って生まれる
天才といっていいほどの才能だ

いつの間にか歩き 
いつの間にか自転車に乗り
いつの間にか1人で電車に乗り
いつの間にか遠くの学校へ通う
いつの間にか生き方を覚え
いつの間にか恋をし
いつの間にか家を構え
いつの間にか人類を引き継ぐ

生き方のレールを外れるのは何故なんだろう
きっと「キカンボウ」という「つっかい棒」が入り
考え方が硬くなったせいなんだ

あるできごと

故郷 
 10年ぶりの故郷は様変わりしていた。
 故郷の駅に降りたのは雨降りの午後9時頃だった。100人余の通勤客に混じり、五階のプラ ットホームを
下ってニ階の改札を抜けた。出口をくぐるとの先の風景は様変わりしていた。歩道橋が斜め前方の道路反対側へ、駅前広場を越えて伸びていた。 薄明かりの、誰もいない歩道橋を先に進むと、左奥の2~3百メートル先に四十階余の高層ビルがそびえていた。 振り返れば巨大な駅は堂々としていて、その全貌は全国でも上位に入る見栄えだった。
 翌日友人の車で中心街を抜け、大学付属病院の跡地の際にある会館に入った。丁度お昼時だったが、客は一人だけ、そして我々を加えた三人だけだ。「病院が移転してからここも 寂れた。昔は大勢の人が利用したもんだ」と、友人が言った。
 「司という喫茶店があってよく入ったよ」
 「まだあるよ。でも飲食街もどこもかしこも変わった。昔の面影はもうない。東西南北に大型ショップができ、ほとんどの人は車でそっちへ行くんだ。だからますます中心街は寂れていくのさ」
 なぁーんだ僕と同じか。僕は見かけが五十代でも内実は年相応なんだ。家ではあっちが痛いこっちが痛いとシップ薬を貼り、やっとで生きながらえている。表玄関の駅を見れば、市は元気はつらつと輝いているようにみえるが、内実は寂れていく一方なんだ。
 相哀れみ、ご無沙汰の年月を飛び越え、ジワッと親近感が湧いてきた。お互いに頑張ろうって。



贈呈式
 6月中旬のある日、前職の社屋で図書館振興財団助成事業の助成金贈呈式があった。今回の助成事業は16件、助成金は約6820万円である。助成を受ける方々、団体、来賓、関連会社社員が出席していたが、思いの他小人数だった。財団の理事・評議員の出席は4名である。
 助成事業選考の総評があった。なるほどと思いながら聞いたのは次の言葉だ。「図書館をこうしたい、こう替えていきたいという運営の信念や経営理念を持った応募がなく、目先の事業に絞った応募が多いのは残念だった」というものである。さらに「今風の考えが出たものだろうが、もう少し図書館運営の長期的な展望がほしい」との話もあった。
 何もこの贈呈式だけではなく、日本中の誰もが目先のことに捉われている。日本という国の余裕かもしれないし、日本に絶望している現れかもしれない。が、無理して冒険しなくなったのは本当らしい。ある記事によれば、三十代の独身男性は植物系男子といわれ、女性との付き合いを望まなく、会社の社長になる夢も持たないという。僕等の団塊世代は、家庭のことは女房にまかせきりだったが、会社人間としては猛烈だった。会社同士の競争、同僚との競争に精力を注いだものだ。一戸建ての家に住み、格好いい車に乗ることを思いながらいつも働いた。そして、今の日本がある。
 政治家をみても政党をみても、その論争をみても、どこにも展望などはない。あるのは相手のあげ足を取ることだけだ。政治に展望なくして、庶民に展望がないと嘆いてみても始まるまい。いま必要なのは日本を救うジャンヌダルクなんだ。その出現が待ち遠しいのは僕だけはあるまい。