あるできごと 交流三年目

◇交流三年目    
 ある小学校との交流も三年になった。昨年11月にあった学習発表会に三年連続で呼んでもらった。昔風に言えば「学芸会」であるが、今風に「竹の子フェステバル」という名が付けられている。招待されていくのだが、半分以上は当方の押しかけでもある。押しかけたいほどの魅力を持った、言いかえれば引力のある発表会である。
 東京の片隅で小さな事業をやっていると、ジレンマや焦りが生じ、それが澱のように心に溜まる。そのドロドロした澱を洗い流してくれるのが、ここの子どもたちの振る舞いなのである。これは挨拶でも話したことでもあり、子どもたちに失礼にならないと思うが、年に一回の洗濯の日になっている。
 低中高学年に分かれて順に演技が進むが、全体で一つのような感じすらする発表会である。一つの演技が終わると子どもたちはテキパキと道具をかたつけ、次の演技の子どもたちが準備をする。その間2~3分でしかない。自然に次の演技が始まるのである。何よりも飾らないのがいい。衣装もほとんど用意しない。普段着で物語を演じるのである。そこには邪心も功名心もなければ、テレビを意識した演技もしない。それがいいんだ。本当にいいんだ。見ていてジンとくるものがある。
 いつの間にか子どもたちの演技に引き込まれ、いつの間にか涙を流している自分を発見する。流す涙が東京の澱を綺麗に流してくれるかのように、だ。だから、また次の発表会が待ち遠しくなるのである。
 至福の独占という果報者である。